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「ゼン」と「サムライ」
 外国に行って、日本人の思想として最も語られているのがこの二つです。

「サムライ」の思想とは、主君のためなら己の命を投げ出すことを厭わないということであり、その最も象徴的な(クレイジーな)行動が、「ハラキリ」です。

 そんな、「ハラキリ」からスタートする映画が、この「13人の刺客」です。

13nin.jpg


 役所広司、松方弘樹から、伊勢谷 友介まで、豪華俳優そろい踏みの時代劇映画。

 舞台は、江戸末期。
 太平の世となり、サムライの仕事はなくなり、威張ることだけがアイデンティティとなっている時代。
 そこに生まれたダークナイト。この映画のMVPでもある稲垣吾郎演じる将軍の弟を中心に話しが進みます。

 この男、まあ、とんでもなく悪い奴です。

 泊めてもらった家にいた女を、ガラクタをもてあそぶように拾って、レイプし、
 その女の旦那を、使い終わった割り箸をへし折る様に、刺殺する。

 自分にはむかった者は、皆殺し。いや、一人残った娘は手足をぶった切った上に下まで抜いたままもてあそぶ。

 そして、その行動を、薄ら笑いすら浮かべず、無表情で行なうのです。

 こえーーー。

 しかも、この行動、頭がおかしいからやっているわけではないのです。

「サムライ」は、主君に絶対服従であり、主君のためなら己の命を投げ出すことが信条。
 それゆえに、主君である自分は何をやっても許される。むしろ、自分がどんなに酷いことをしても、それに対して意義を唱えることは「サムライ」にとってハラキリの刑にあたる大犯罪。

「悪いことを咎めること」が「犯罪」であるという矛盾を理解した上で、その矛盾が起こっていることを楽しむがごとく、凶行を繰り返すこの男に、えもいえない恐怖を感じるわけです。

 この男が、幕府の要職に就こうとしている。
 こいつが、要職に就いたら、この世は終わりだ・・・。

 そのために、ゲリラ的に暗殺を行なうというプロジェクトが役所広司に課せられ、13人の刺客が、吾郎ちゃんに戦いを挑むわけです。

 サムライの戦いは一騎打ち・・・というわけでは全然なく、不意打ち、待ち伏せ、なんでもあり。
 300対13の無茶な戦いが延々と続く後半部分ですが、50分の長さを感じさせない大迫力です。

 あまりにも戦いが長すぎるため、敵も味方もボロボロになり、サムライの戦いというより、スラム街の喧嘩の様相を呈してくるのですが、これも、「戦いを忘れたサムライ」同士の戦いであると考えると、非常に納得感がある状況です。

 その中で、13人の刺客の中でも最年長。重鎮的役割の松方さんだけが、どんなにボロボロになっていても美しい姿勢と華麗な剣さばきを魅せてくれるのが、さすがの貫禄の違いを感じます。

 往年の時代劇俳優の最後の世代は、サムライの最後の時代を舞台に、その格の違いを魅せつけてくれる訳です。

 しかし、物語は「サムライ」的な時代の最後を語る話。
「サムライの矛盾点」の象徴である吾郎ちゃんとの戦いは、やはりサムライ的ではない戦いになっていきます。

 アメリカの金融機関は、短期的に金融資産を増やすのに最短距離の方法を取り、その結果金融崩壊を招きました。
 日本的経営は、長期的に正社員の生活を豊かにするのに最適の方法を取り、その結果正社員以外の生活の崩壊を招きました。

 この様に何かを突き詰めると、松方さんの殺陣の様な美しい技術ともなり得るし、吾郎ちゃんの様な狂った指導者による暴走にもなり得ます。

 これらのトップがみな、吾郎ちゃんのような確信犯なのかは分かりません。
 でも、今の世の中にも、ぶっ殺さなきゃ民が不幸せになるようなえらい人はたくさんいるような気がします。

 そんな奴を、往年のサムライから、地味に優秀なリーダー、ちゃらんぽらんな実力者、無口で孤高の天才、野生児など、個性豊かな「13人の刺客」がやっつけに行く話は、非常に燃えるストーリーです。

 ただ、13人のうち特別な人間は上記の5人くらいで、あとは結構普通の人。
 普通の人も立ち上がるくらいにならないと、時代は変わらないのかもしれません。

 ま、この映画の中でも、ほとんどの一般庶民は、全然立ち上がらないんですけどね。



 
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