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ブラックスワン0001


悪魔によって白鳥の姿に変えられてしまった少女
この呪いを解くためには、王子に愛を誓ってもらうしかない
しかし、悪魔の娘である黒鳥が王子を誘惑し、王子は黒鳥に愛を誓う
全てを失った少女は、湖に身を投げる

これが、物語の冒頭で語られる、バレエ「白鳥の湖」のあらすじです。
そして、主人公であるナタリー・ポートマン演じるニナが、このバレエの主役に抜擢されることから始まります。

幼い頃から、元バレリーナの母親に英才教育を受け、バレエだけに没頭してきたニナ。
彼女の姿はまさに劇中の白鳥の様に弱く、儚い。
しかし、白鳥の湖の主役は、白鳥と黒鳥両方を演じなくてはなりません。

黒鳥が演じられない自分自身への怒りと、黒鳥の官能的で邪悪な内面が、彼女の精神を蝕んでいき、彼女の中の世界が歪んでいく。

この映画は、この彼女の精神の歪みを表現するように、常に観客の心を不安定にするように作られています。

幻覚・幻聴、痛み、恥辱、裏切りの言葉

ことあるごとに、出てくるこの痛々しいシチュエーションが、観客とニナをシンクロさせていくのです。

このブラックスワンの監督の前作は「レスラー」という映画でした。

レスラー 沈みゆく業界で、生きるために闘い続ける男の話

一昔前、全米の大スターであった主人公。
しかし、プロレスブームが去ったあとは、小さな会場では大スターであるけれど、実際の生活はスーパーでバイトしながらトレーラーハウスに寝泊まりする毎日。

レスラーという虚構の世界と、生きている実際の世界の溝がどんどん深まり、広がっていくというのが、主役を演じる元大スター、ミッキー・ロークの人生と重なり、辛く、感動的だったわけです。

ブラックスワンは、全くこの逆で、子役からスターウォーズのヒロイン、ハーバード大学卒業という完璧な人生を歩むナタリー・ポートマンが、虚構の世界の住人である黒鳥に精神を絡め取られ、ダークサイドに堕ちていきます。

バレエの事だけを考えていた主人公が、母親の自分に対する束縛や嫉妬に気付き、父親に愛情を求めるが如く振り付け師の求める姿を追い求め、自身とは全く逆の「黒鳥」のような人生を歩む同僚に翻弄される。

今まで気付かなかった、他者との関係性がどんどん表に出てきて、制御不能になっていくわけですが、彼女を本質的に振り回しているのは、彼女自身です。

そのため、この映画の中には鏡と鏡に映った彼女が何度も何度も登場します。
そして、心が壊れていくにつれ、鏡の中の彼女と自分自身の動きがシンクロしなくなってきます。

自分を見つめ直したら、自分が今まで思っていた自分ではなかったという恐怖。
そして、鏡の中の自分が、自分自身を征服し、自分がいなくなるという恐怖。
しかし、自分自身を殺して鏡の中の自分になることを望んでいるかもしれないという恐怖。

本当の自分ってなんだろう?

極限状態の自分探しの旅は、危険で、官能的な「黒鳥」そのものです。

映画・レスラーの主人公は、虚構の中の自分と現実の自分の境目をしっかりと理解しており、それでも虚構の中の自分をとるという選択をしました。
それは、「会社人間だ」と自覚をしながらサービス残業を繰り返すサラリーマンのようで、半ばあきれながらも共感出来る存在であり、物語でした。

しかし、ブラックスワンの主人公は、虚構の世界にどんどん取り込まれていくだけの存在。自分ではないなにかに取り込まれ、自分を殺してしまうという恐怖。
自分は絶対にこうはなりたくないという存在でしかありませんでした。

たとえ人にどう思われても、自分の人生は自分で決めていきたいし、自分がどこにいるかは常に把握しておきたい。
たとえポンコツでも、自分でハンドルを持って、自分で運転して生きていきたい。
そんな私にとって、ブラックスワンの物語は、非常に辛く、悲しい物語でした。

そして、主人公が最期につぶやく一言、

パーフェクト・・・

の意味は分かっても共感は出来ませんでした。
それは、死して永遠の愛を手に入れる白鳥に共感出来ないように。


ブラックスワンという映画は、こんな風に、最初は客観的に見ていてもどんどん物語と主人公の心にシンクロしていって、自分の内面と向き合わされる映画です。
恐らく、この感覚は、暗闇で巨大なスクリーンに投影される映像と音楽により増幅されます。

その感覚は、決して心地の良い物ではありませんが、非常に刺激的なもの。
まるで、「黒鳥」の様に。

映画館で観ることを、激しくおすすめいたします。



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ミッキー・ローク、マリサ・トメイ 他

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もりぞおさんが愛読しているblog ちきりんの日記。

 ちきりんという元外資系証券の社員、現仕事を辞めてちんたら生活している人が書いているblogなのですが、その発想の豊かさや、客観的なものの見方、そして考えている事の方向性が私とどんぴしゃな所から、数少ない「更新されたら必ず読む」blogになっています。

 彼女の中の人生のテーマは、著書のタイトルにもあるように、

「ゆるく考えよう」

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 そんなに頑張ったっていいことないし、ほどほどでいこーよ。 という思想。
 仕事をせずにちんたら生活は、まさにこの言葉の体現です。

 そんなちきりんが、Ustreamで対談する相手が、勝間和代!
 ゆるく考えるの真逆、年中張り詰めて生きてそうなカツマーとの文明の衝突!
 
 勝間和代の本は1冊しか読んだことないですが、これは観るしかありません。

勝間和代のUstreamぶっちゃけトーク 「変化の時代の乗り切り方」 ~「ゆるく考える(ちきりん)」 VS 「しくみで乗り切る(勝間)」


 実際に対談を観てみると、二人の思想は途中から大きく分岐していることが分かります。
 
「日本って、これから衰退まっしぐらだよねー」というところは二人とも共通しているのですが、それに対する対応は

勝間
「政府主催の会議とかに出て、少しでも仕組みを変えようと努力する。
 どうしようもなくなった時のために、海外脱出の算段もつけておく」

ちきりん
「若い人は大変だけど、私は何とかなるかなー」

 もりぞおさんは、この対談が生中継されている裏で、MBTIタイプ検証という、性格のタイプ分析みたいなことをやっていました。
 人の性格を「外交(E)/内向(I)」「感覚(S)/直感(N)」「思考(T)/感情(Feeling)(F)」「判断(J)/知覚(P)」の4つの分野で、どちらが得意(利き手のようなもの)かを分析するわけです。

 この、ちきりんと勝間和代の一番の違いは、

感覚(S)=現実、事実に目を向け、実際に起こっていることに着目し、一つ一つ積み上げて結論に達する勝間和代と、
直感(N)=ものごとの全体像からとらえ、データの背景やパターンを想像し、直感に従い結論に達するちきりんです。

 特に、勝間和代のSっぷりは半端じゃなく、
「ネットで悪口を書いている奴を、IPアドレスから調べ上げ、書いた人物がどんな動機で書いたかを調査する」というような、クレイジーなエピソードがぽんぽん出てきます。

 そして、もう一つの違いが、
判断的(J)=計画を立て、それをこなすことに喜びを覚えるの勝間和代と
知覚的(P)=計画=暫定であり、進みながら考えるちきりん。

「混乱Lover」のちきりんの将来の計画はやっぱりゆるくて適当です。

 で、もりぞおさんはどうだったかというと、

感覚(S) = 勝間和代側
知覚的(P) = ちきりん側

 意外と現実や事実に目を向ける事が好きで、それを積み上げて考える現実志向でありながら、計画は立てずに行き当たりばったりで生きていくタイプというわけです。

 実際、twitterでは、自分の気になるニュースとか統計数字とかばっかりつぶやいているくせに、月単位くらいの予定だけで世界一周旅行にでています。

 勝間和代の本は一冊読んだ時点で、この人とは話が合わないとそれ以降一冊も手にすることはありませんでした。
 ちきりんのblogは数話読んだところで、この人と思考法が全く一緒だと欠かさず読み続けています。

 でも、こうやって分析してみると、意外と自分の中に共通点があったりなかったりで面白かったりするし、自分でものを考えるときに「勝間和代的にはこうだなー」とか「ちきりん的思考を入れるとこうなるかな」とか思考の幅が広がったりして大変楽しくなります。

 で、大変有意義な2時間の放送だったわけですが、観て頂ければ分かるように大変ゆるい作りで作られています。

 素顔を晒さないちきりんは、手書きの看板の後ろで喋ってるし、放送途中でマイクの電池が切れて放送中断とかも起こっています。
 テレビ番組では絶対許されない品質でありミスなわけですが、私が番組から得られたものは、テレビの完璧なバラエティ番組よりも圧倒的に上です。

 ちきりん的、ゆるく考えようは、ものづくりやサービス業にも活かすと、日本はもっと幸せになれる気がします。
 細かい品質とか気にしないで面白そうなものを作るとか、きっちりした品質保証はさておいて従業員のサービス残業を減らすとか。

 どーせ衰退するんだから、みんなでちんたらと仕事すればよくね?

 こんな風に、Ustreamの番組から事実を拾った上で、てきとーな提言をするあたり、もりぞおさんの性格はやっぱり、勝間的とちきりん的が混ざっていて、タイプ検証あなどれないなーと思うわけです。

 で、具体的にこれからどうやって生きていくかについては、相変わらず人生迷子。
 まあ、なんとかなるだろ。

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 予告編で何度も観ていたけど、それほど惹かれなかった本作品。
 しかし、twitterなどの評判が異常に高いので行ってみました。

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 井上真央と永作博美。
 いずれ劣らぬ丸顔童顔の二人が親子であるという時点で、その遺伝子の強さが意識されるわけですが、この二人が本当の親子ではないというのがこの物語のキモです。

 井上真央の実の父と不倫関係にあった永作博美。
 彼との間に子供が出来たが、彼の要望により堕ろすことになる。
 これにより、永作博美は一生子供を産めない身体に。

 そして、井上真央の実の母親に子供(=井上真央)が出来る。
 彼女は家庭を守るために、永作博美を罵倒し、不倫関係を終わらせる事に成功する。

 この時の、罵倒の言葉が凄まじい。

 そして、心が空っぽになった永作博美は、ひとめ彼の赤ちゃん(=井上真央)を見ようと彼の家に忍び込むが、ついうっかりそのまま誘拐してしまう。

 そのまま井上真央を育て続け、4年後に逮捕されるまでの逃避行の様子と、20歳くらいに成長した井上真央の母親を追いかける旅が交互に展開していくのが、この映画の主題です。

 4歳まで永作博美を母として育ってきた井上真央は実の母親を親として見ることが出来ない。
 そのことに対してヒステリックに対応することしかできない実の母との心は離れていくばかり。
 4歳まで、あふれんばかりの愛情を受けてきた少女が、その後一切の心を閉ざして空っぽになってしまう。

 その心の空白が、母親の面影を求める旅の中で埋まっていく様が非常に美しい。

 公園のトイレのシーン、島での自転車を乗るシーン、そして、井上真央がたどっている人生。
 そのポイントポイントが、永作博美との同化のステップになっているわけです。

 以前、ザ・ファイターでも書いたのですが、この映画からも感じるのが、

「血のつながりってなんだろう?」
 
 ってことです。
 ザ・ファイターでも、実の家族は滅茶苦茶な連中ばかりでしたが、この映画でも井上真央の実の両親はヒステリー&浮気性の、ろくでもない夫婦です。
 
 それに対して、永作博美は、
「明日もこの娘 といっしょにいることができますように。
 一年後、五年後などと大きなことは願わない。今日一日、それから明日一日、それだけでいい。だからどうか私の祈りを聞いてください」
 と、悲痛なまでの切ない祈りを捧げます。

 そして、この永作博美との生活と、実の両親との生活の落差が、井上真央に「私は誰からも愛されたことがないから、どうやって子供を愛せばいいのかわからない」と言わせるまでの心の傷となっています。

 血のつながりという障害物によって、人と人との繋がり方を見失い、実の子を愛する自身すらなくしてしまうという、この矛盾。

 日本企業の「家族的経営」は、機能しているときにはこの上ない一体感を生み高度成長を生み出したわけですが、思ったように収益が伸びなくなったときにただのめんどくさいしがらみになったように、血縁関係というものも絶対ではないのだなということを感じます。

 実際問題、永作博美と井上真央は、逃避行中、血縁関係とは全く関係ない、宗教団体的コミュニティや地域社会に守られて幸せに生活していたわけですから。

 ただ、問題は、そうやって自分で血縁関係を無視した、新しい道を切り開いていったとして、それで全てが上手く行くわけではないことです。

 実の母が井上真央を愛せなくなり、よりヒステリックになった理由は、永作博美の誘拐が原因であり、それはどうあっても肯定できるものではありません。
 自分の中の母性の赴くままに生きていくことは、実の娘までも傷つけてしまうことになる。

 母性の暴走を、終止、痛々しいまでの切迫感を持って演じた永作博美と、
 無表情な前半から、段々と取り戻していき、最期に母性を取り戻すという変化を演じた井上真央。
 この二人が、本当に素晴らしい映画でした。

 自ら選んで人生を生きることの大切さと、その暴走の危険性。
 それでも、生きていかねばならない事の残酷さと、希望。
 いろんな感情が渾然一体となって、生きていくことの難しさを改めて考えさせてくれます。

 
 
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 最近、TBSの格闘技担当班が解散になったことが、K1ファイター佐藤嘉洋のtweetによって明らかになりました。
 私が民放を見るのは、ほぼ格闘技観戦だけだったので、本格的にTVの存在意義が亡くなりつつ今日この頃です。(まあ、元々持ってないんですけど)

 そんな、縮小傾向まっしぐらの日本格闘技界ですが、それよりも早く縮小傾向に入っていたのがプロレスです。

 年に何回も東京ドームで興業が打たれていたのは今は昔、ハッスルに芸能人が出まくっていたのも今は昔。テレビで放映されることもなく、ひっそりと規模を縮小して行われているのが現実です。

 ただし、規模を縮小しながらも、一部団体はしっかり固定ファンを掴んでおり、会場の中では盛り上がっているというのも事実。

 テレビをターゲットに作ると、「初めて見た素人でも分かる」というのが必須条件になってしまうのですが、その足かせを外すと、常連のファンにとって非常に満足度が高いものを作れるのもまた事実なのです。

 そんなプロレス。その中でも、プロレスラーに焦点を当てた漫画がこのプロレスメンです。

プロレスメン (ヤングマガジンコミックス)プロレスメン (ヤングマガジンコミックス)
(2011/02/04)
ジェントルメン 中村

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 まず、一目見て気付くのが、「絵が酷い」
 そして、作者のペンネームが「ジェントルメン中村」 絵柄と真逆の方向性です。
 しかし、話の内容はガチです。

 ホームレスウォリーアーズという、ホームレスの格好をした悪役レスラーを、彼らの付き人の目線から見た、バカギャグマンガなのですが、この中にプロレスに対する愛に満ちあふれています。

 海外武者修行から帰ってきた若きエースレスラーと戦うホームレスウォリーアーズの片割れホームレス・ドリー。 
 試合前だというのに、控え室で「炊き出しだ!」といって、賞味期限切れのコンビニ弁当を煮込む二人。
 
 驚く付き人を尻目に、煮え立った炊き出しを一気飲みするドリー。
 その直後、試合の入場時には、野草を食べながら入場というホームレスらしいパフォーマンス。

 試合開始数分後、エースレスラーの必殺技、高速タックルがドリーに炸裂!
 たまらず、ゲロを吐くドリー。
 そのゲロには、血が混じっており、高速タックルは、内臓破りのタックルとして伝説となる。

 このゲロ。直前に食った煮え立った食べ物により、胃が炎症を起こしていたことにより血染めになっているという、ドリーの作戦。
 さらに、入場時に食っていた香草により、ゲロの臭いにも気を遣っている。

 さすが、インテリジェント・ホームレス・ドリー。
 相手の必殺技をこれ以上なく効果的にみせる上に、エチケットにまで気を配っている!

 こんな内容の話が、全1巻の単行本にこれでもかと詰め込まれているわけです。

 八百長とかやらせとかとは異次元の存在にある、プロレス。
 しかし、勝敗が決っていないことだけが真剣ではない。
 例え、ただのショーであっても、真剣にパフォーマンスをしている人はいるわけです。

 社会通念からすると滅茶苦茶な、豪快過ぎるプロレスラーの行動。
 しかし、その豪快さの裏には様々な考えが張り巡らされており、その役を演じ続けることによってファンを喜ばせているのだ。

 いかがわしいながらも、テレビ局やスポーツ新聞がプロレスラー一緒になって幻想を作り続けていた、古き良きプロレス。
 インターネットにより、あらゆる情報がすぐに明らかになってしまう上に、テレビがいかがわしいものを認めずに(表面的に)清廉潔白なものだけを取り上げるようになった今日この頃。
 マスコミの状況は、プロレスとは真逆に動いています。

 とはいえ、そんなマスコミ(主にテレビ)の状況に嫌気が指している人も大量に出てきており、テレビの視聴率はだだ下がり中。
 そんな、テレビ離れをしている人たちが行き着く先のひとつが、人間離れしたバカをやるプロレスメンな気がします。

 正々堂々、清廉潔白、正義の味方だけが素晴らしいんじゃない。
 いかがわしいこと、バカなことを、真剣にやることだって素晴らしいんだ。

 24時間テレビで芸能人が死にそうになりながらマラソンをする姿や、東電のえらい人が座布団の上で被災者に土下座する姿に馬鹿馬鹿しさを感じている人に、是非お勧めしたい一作です。

プロレスメン (ヤングマガジンコミックス)プロレスメン (ヤングマガジンコミックス)
(2011/02/04)
ジェントルメン 中村

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最狂超(スーパー)プロレスファン烈伝 (Count.1) (マンダラケ・リベンジ・コミックス)最狂超(スーパー)プロレスファン烈伝 (Count.1) (マンダラケ・リベンジ・コミックス)
(1999/09)
徳光 康之

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水嶋ヒロの小説を200円で買ってきた。

KAGEROUKAGEROU
(2010/12/15)
齋藤 智裕

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もりぞおさんは、「どうしてこんなんなっちゃたんだろう」的な作品を突発的に消費したがる傾向があり、これらを小馬鹿にすることに喜びを感じます。

このblogでも、王者・アマルフィをはじめ、踊る3交渉人ツーリストなど、名だたる作品を取り上げてきました。

そして、2010年度最大の問題作といわれたベストセラー。
芸能界を干された水嶋ヒロが、本名で、ウソか誠かポプラ社小説大賞とやらを受賞したこの作品、一体どんなことになっているのか。期待は高まります。

が、それほど酷くはなかった。

アマルフィ的な酷さを想像していたのですが、あれほどメタメタではなく、普通にまとまっている印象。
すごいと思うところもなければ、酷いと思うところもない。

話は、自殺をしようとしている男が、臓器移植のエージェントの男に呼び止められ、自殺を思いとどまり、金で身体を売るという話。

彼の心臓を受け継ぐ20代の少女に偶然出会い、命について考え始める主人公。
そして、奇跡的な偶然により、命を落とす前に彼女に再会する主人公。
しかし、彼の心臓は、ゼンマイ仕掛けになってしまい、30秒以上ねじを巻かないでいると死んでしまう。

 ここまでが8割くらいのストーリーなわけですが、毒にも薬にもならない感じでさらりと書いてあるのでイマイチ心に響いてきません。
 主人公が時折口にする、どうしようもないギャグだけが、心の痛みとして、重い足跡をつけてくれます。

やっぱり、ダメな小説なのか?


しかし、よくよく考えて「これは水嶋ヒロの私小説なのかもしれない。」と思うと、様子が変わってきます。

主人公が40歳なのに、明らかに思考が20代のこと。そして、主人公が命を救うことになる女性。
これ、水嶋ヒロと絢香だろ。

偶然というか運命の巡り合わせというか、命を捨てて女性を救うことになってしまった男。
偶然生き残ったが、彼に残ったのはゼンマイ巻くのを30秒忘れると死んでしまう脆弱な身体。

 水嶋ヒロと絢香にどんなことがあって、芸能界を干されているのかは知りません。
 しかし、あの結婚が現在の状況を作り出している事は間違いないでしょう。

「水島ヒロ」であることを捨て、ただの「齋藤 智裕」となってでも、絢香を守ることを決意した男の悲壮感をそのままぶつけた小説。

「水嶋ヒロ」という芸能人の命はなくなっても、「齋藤 智裕」という身体は2000万円以上でエージェントに売られ、その身体は沢山の人の手であり、足であり、心臓でありという形で移植され、今もまだ生き続けている。

 特に、心臓は、自身が大切だと思っている女性の中で生き続けている。

 あきらめとも、無気力とも言える状況で差し出した命に対して、女性との出会いでその大切さに気付き、その大切なものを失ってでも、彼女を守りたいと感じるようになった。

 そんな、自身の信念と覚悟を書き連ねた小説であれば・・・美しく儚い命である「KAGEROU」がタイトルであることに合点がいきます。

ただ、悲しいことは、彼の文章もゼンマイ式の心臓の様に力弱いことです。

 芸能生命を捨て、これからの人生を賭け、愛するものを守るために、自身の全てを出して書いた小説。
 しかし、この小説を読んだほとんどの人たちは、その魂の叫びには気付かず、ただの意外と読みやすい小説として消化してしまっています。

 伝えたいこと、伝えなくてはならないことは、重く、熱く、力強いのに、それが文章に憑依しない。読者の心を揺さぶらない。
 それは、魂を文章に乗せる才能の問題ではないかと考えてしまいます。

 そして、その才能の問題を考えると、このあと彼が作家として大成できるかというと、かなりの疑問符がつきます。
 それは、30秒ねじを巻くのを忘れると、鼓動が止まってしまうゼンマイ仕掛けの心臓によって動かされている、主人公の命のように。

「齋藤 智裕」という人の物語が、これからどのように進んでいくのか?
 この小説の(無理矢理感のある)結末よりも気になっています。

KAGEROUKAGEROU
(2010/12/15)
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