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 この映画は、ボクシングのファイターの話でありながら、内容は「家族」の話。
 それも、暖かい「家族」サイコーな話ではなく、「家族」ってなにかを考えさせられる話です。

 アメリカの田舎。
 失業率バリバリで、産業がなく、犯罪とドラッグだけが蔓延しているという最低の街。
 この街の唯一の誇りが、数年前に超有名なチャンピオンを、ダウンさせた(試合は負けた)男。
 彼は、既にヤク中でボロボロなのですが、唯一の誇りに対して、街の人たちは非常に優しい。

 彼が行っている唯一の建設的なことが、弟のトレーナー。
 戦績はボロボロでも、才能はある弟。
 もしかしたら、この街の誇りになるかもしれない弟。

 彼の戦績の悪さの原因は「家族」です。

 トレーナーの兄は、試合直前の超重要な時期にも、ラリっていて、練習に来ない。
 マネージャーの母は、金のために9kgも体重が上の相手との試合を受ける。(ボクシングの軽量級は1階級2-3kgです。9kg差は自殺行為)

 そんな彼が、気の強い彼女と出会い、「家族」から離れることで、潜在能力を発揮していく話です。

 誇りは高く、それでいて何も出来ていない兄。
 唯一の稼ぎ手である弟に寄生している、母と姉妹たち。

 外部者から観れば、主人公にとって「家族」とは阻害要因に他なりません。
 もっというと、彼が住む街そのものが阻害要因。
 
 多くの映画や物語で一番美しいものとして描かれる「家族」と「故郷」が、彼の才能を潰しているわけです。

 私は、震災のあと、blogでこんな記事を読みました。

地震と原発による結婚の破談
 福島県出身の女性が、8年つきあった男性と結婚するというときに震災が発生。
 しかし、その男性の母親が言った
「放射能の影響で元気な子供が生まれなかったらどうするの?」
 という言葉から、結婚を断念したという話です。

 この言葉には様々な要因が含まれています。

 相手の立場、状況を思いやることのない無神経さ。
 科学的知識に関する造形の浅さ
 風評および思いつきに対する耐性のなさ

 きっと彼女は「優しさのない頭の悪い人」に対し、一生義理の親子としてつきあっていくことが許せなかったのだと思います。
 子供は親は選べないけど、義理の親は選べます。
 彼女の判断は正しいものだと心から思います。

 ただ、この女性の婚約相手の男性はどうだったのでしょうか?この発言を聞いてもまだ、親子としてつきあって行かなくてはならない腐れ縁。血のつながりってそんなに大切なものなのか?

 少なくとも、私がこの様な状況に陥ったら、迷うことなく母親よりも彼女を選ぶと思います。(幸いなことにうちの両親はこんな人間ではないですが)

 この、「ザ・ファイター」という映画の中でも、主人公はこの様な選択を迫られることになります。
 家族のサポートをとるか、新しいチームをとるか。
 そこでの彼の決断が、未来を切り拓くわけです。

 この映画の言いたいことは、「家族は最高」とか「腐れ縁を断ち切って実力で選べ」とかいうものではないと思います。
 何より大切なのは、「自分で考えて、自分にとって最高な道を選択しろ。誰がなんと言っても」ということ。

 自分の8年間の生活を投げ捨ててでも、その後の長い人生をわかり合えない人と生活することを拒むという選択をした彼女はとても立派です。
 男性の方も、8年間の生活を投げ捨ててでも、母親を守るという選択をしたのなら立派だと思います。

 自分で考えて、自分で選択して、自分で行動する。

 何度も言われ続けている言葉でありながら、「なにかを選択して」の裏側に「なにかを切り捨てて」という言葉が含まれていることを思えば、簡単に出来ることではないということが、この映画やblogのエピソードを観るとよく分かります。

 それでも、選んで、進まねばならない。
 曖昧に、何も捨てずに、何も決めずに生きていくのは最悪だ。

 そして、過ぎていく日々を、踏みしめて僕らは行くのだ

「家族」というのは、切り捨てるのにはあまりにも大きな存在であるわけですが、それ故に、この映画から感じるものは非常に大きく、観た後に深く考えさせられるわけです。

 そして、タイトルの「ザ・ファイター」、ボクシングという競技を戦ったわけではなく、自分の中での葛藤に勝った男に送られた称号なのです。


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そのテーマの重さと、下手でキモい絵柄から話題騒然の漫画「進撃の巨人」

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私もそのブームに乗っかった一人であり、1-2巻を読んだところで、ひとつ記事を書きました。
進撃の巨人 圧倒的な強者から逃げるために、自分で作った壁の中だけで生きることの閉塞感

巨人から身を守るために壁の中で暮らす人類。
彼らの感じる閉塞感を、現代日本の閉塞感になぞらえたわけです。

そして、日本にも3月11日に、50m超大型巨人級の災害が訪れました。
今、4巻まで進んだ物語から見えるものを改めて書いてみたいと思います。

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4巻で語られる物語の中で、重要なシーンが3つあります。
ひとつは、主人公が精神世界の中で、自分がなぜ巨人と戦い外の世界を見たいかを考えるシーン。

「この壁の外のずっと遠くには、炎の水や、氷の大地、砂の雪原が広がっている」
「どうして外の世界に行きたいと思ったの?」
「決ってんだろ、オレがこの世に生まれてきたからだ!!」

 彼の気持ちは私にはよく分かります。
 実際に仕事を辞めて炎の水や、氷の大地砂の雪原を見に行ってきた私なので、

オレ達は皆、生まれたときから自由だ
それを拒むものがどれだけ強くても関係ない
どれだけ世界が残酷でも、関係ない
戦え!

 という言葉に共感します。
 履歴書の職務経歴に一年の空白がある人間に、転職回数が無駄に多い人間に、どれだけ日本企業の採用担当者の評価が残酷でも、関係ねえ!

 しかし、現実問題そこまで割り切れる人間は少ないと思います。
 育ってきた環境も違うし、守らなければならない人や物の数も違いすぎます。

 この巨人に囲まれた世界でも同じような問題が生じます。

 若者は、兵士として国に雇われるわけですが、対巨人用の武器を使いこなす術を熟知した人間は、階級が上がり、国の中心を守る役目に回ることになる。
 つまり、対巨人用の戦闘技術を身につければ身につけるほど、巨人から離れて暮らせるようになる問題。
 
 多くの人間は、自由を求めているけれども、それ以上に自分や、自分の家族の安全を求めている。それ故に、全体にとって最適ではないと分かっていながら、自分の手の届く範囲の経済合理性に則って行動をしてしまう。

 水や食べ物の買い占め、福嶋の人に対する放射能を恐れる差別。

 世の中の多くの人たちは、信念のために命とか安全とかを捨てることは出来ず、自分のすぐ周りにいる人を守ることに手一杯。
 たとえ、国に対して全体最適的な文句を言っても、自ら自己犠牲的に行動することは出来ない。
 それは、恥ずべき事ではなく、多くの人間の普通の行動だと思います。

 そう。人間は、基本的に弱いんです。
 本能のおもむくまま、何も考えずに人を喰らう事だけを続ける巨人よりも。

 しかし、主人公たち一度地獄を見た「強い」人間以外の兵士達。「弱い」兵士達にも転機が訪れます。
 
「君は強い人ではないから、弱い人の気持ちがよく理解できる。
 それでいて現状を正しく認識することに長けているから、今、何をするべきかが明確にわかるだろ?
 大半の人間は弱いといえるけどさ、それと同じ目線から放たれた指示なら
 どんなに困難であっても、切実に届くと思うんだ。

 今…何を…するべきか…

 震災直後の混乱の中、復旧の道筋を作るためには、頭が良くて、情報収集能力があって、表現力があって、多くの人に信頼されている、「強い人間」の意見が必要とされます。

 しかし、その道筋を通って復興を行うためには、「強い人」だけが進める道を作るだけでは足りません。
 
 危険を冒してでも、炎の水を見に行きたくなるような強い意志を持った人間だけではなく、自分と家族を守りながら、恐る恐る進んでいく人たちも通れる道を作らねばならないのです。

 そんなときに必要なのが、弱い人の気持ちがよく理解できて、状況判断が高い人。

 今までのマスコミでは、この様な「弱い人」の出番はありませんでした。
 しかし、blogやtwitterでは、この様な弱い人が沢山の意見を発表し、被災地での体験や思いを書き連ねています。

 そんな文章は、数多くリツイートされ、リンクを張られ、沢山の弱い人の共感を呼びます。

 少しずつ前に進むために、進撃というほど強力ではなくても、ちょっとだけ歩みを始めるために、Webによる情報発信は、多くの人の力になるんだろうなと感じる今日この頃。

 漫画の中の絶望的な世界でも、リアルなこの日本でも、同じような希望が芽生えていることに、この漫画の非凡さを感じるわけです。


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ブラッドピッドとアンジェリーナジョリーの共演ということだけが宣伝されている時点でヤバイとは思っていたのですが、案の定各地の映画評でボロクソ。
まあ、見ることはないなと思っていたのがこの映画、ツーリスト。
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しかし、その論評が「ハリウッド版・アマルフィ」と言われ始めた時点で気持ちが動きます。

個人的に、「いろんな意味で最悪」映画であるアマルフィ~女神の報酬

ただ、映画として酷いだけなら他にもいろいろあるのですが、制作過程とかひっくるめて突っ込みどころが満載という素晴らしさから、このblogの記事にも書かせて頂きました。

アマルフィ 女神の報酬 日本映画の駄目なところをギッチリ詰めてみました。イタリアで

そして、そのアマルフィ萌えが高じて、イタリアのカプリ島に行ったときには、ついうっかりアマルフィの街までバスで行ってしまう狂いっぷり。

カプリ島 そして、聖地、アマルフィへ でも、中身はiPhone賛歌

そんなアマルフィストかつ世界一周旅人の私が、映画「ツーリスト」を観に行かずにはいれませんでした。

アマルフィは、織田裕二と天海祐希の、日本トップクラスの夢の共演。
ツーリストは、ブラピとアンジーの、世界トップの夢の共演。
アマルフィは、イタリアの通好みの観光地を舞台にしたサスペンス。
ツーリストは、イタリアが世界に誇る観光地を舞台にしたサスペンス。

こういうものは、名前が派手なほど実態は酷くなるの法則からいって、ツーリストの凄さに期待が高まるところです。

実際に劇場に行ってみると、ほぼ満席!
「お前ら、自粛しろよ!」と、私としてはあり得ない声を上げてしまいそうなほどのこの人たちは一体何を期待して来ているのでしょう?

そして、映画開演。
この映画で度肝を抜かれるのは、アンジェリーナジョリーのその面構えです。
ハリウッド版叶姉妹を思わせるような、濃ゆすぎるメイク。
もう、この人は美人なのか背脂豚骨ラーメンなのかよく分からなくなるくらいの、強力なインパクトです。

物語は、この脂っこいアンジー演じる謎の美女がパリで警察に尾行を受けるシーンから始まります。
フランス警察、もう少し尾行の仕方を勉強した方がいいと思いますけどね。

そして、パリのお洒落なオープンカフェでお茶してると、アンジーにメール便を持った男が近づきます。
受け取った手紙には、「8時22分のリヨン駅で電車に乗り、俺と似た体型の男を選んで、そいつを俺だと思わせろ」との指令が。そして、「この手紙を燃やせ」と。

なんと、普通に動画がYouTubeにあったので載せておきます。



もう、このシーンだけで、計画がずさんすぎます。

まず、なんでそんな人目に付くところで手紙の受け渡しをするのか。
しかも、なぜその場で読むのか。
さらに、燃やしたはいいけど、まだ燃えてる途中で席を立つのか。(ちなみに、このあと警察が燃えかすを回収して、アンジーとボスの計画はバレバレに…)

おい、ボスとアンジー!お前ら、警察に尾行されてること知ってるんだろ!

まあ、これはボスとアンジーがバカなんじゃなくて、脚本がバカなんですけどね。
基本的に、制作段階でもめにもめて、監督とか脚本がゴロゴロ変わる映画にありがちな、「ストーリーがボロボロだから、登場人物がバカに見える」の典型です。

まあ、我が国代表のアマルフィは、迷走の果てに脚本を誰が書いたか公表されてないレベルなので、レベルが違いますがね。

このあと、「俺に似た男」として、冴えない数学者のブラピが選ばれて、事件に巻き込まれます。
ブラピは役柄通り四六時中ボンクラだし、アクションはしょぼいし、登場人物は相変わらずバカだし、緊張感はないし、かなり眠たくなります。

舞踏会に行くことになるというシナリオもどうかと思われるのですが、その舞踏会で敵に追われるアンジーが無駄にブラピと踊り出すあたり、もうストーリーとかどうでもいいんだろうなということに気付きます。

そして、このあと衝撃の展開が!
でも、その衝撃はあまりにもネタバレなので、それでもいい人は、続きを読む!をクリック!

っておもったら、追記が上手く使えないのでちょっと行を開けました。
ネタバレが気になる人は、この先進入禁止。
って、わざわざこの映画を観に行く人がどれだけいるのか問題。

そして、本文思いっきり間違えてた!!!
全編にわたって、デップをブラピって書いてるよ!!!

一番ずさんだったのが私だというオチ。
自分へのお仕置きのため、修正せずにとっておきます。









































<strong>
なんと、ボスに「俺に似た体型の男を選べ」って言われてアンジーが偶然選んだ男(=ブラピ)は、ホンモノのアンジーのボスでした!</strong>
整形を繰り返してたから、アンジーにも分からなかったよ!まいったね、こりゃ。

その割には、ブラピ一人でいるときもボンクラ丸出しだったし、行動も意味不明。
そもそも、敵にも味方にも顔を知られてないんだから、わざわざアンジーと合流しないで、一人で仕事をすれば全ては穏便に終わっただろう。

そんな感じで、だるくて眠い話の終わりに、こんなしょうもないオチをつけられて、とても悲しい気持ちになってきます。

とはいえ、ハリウッドがNo1,2の俳優をそろえて全編フランス&イタリアロケを敢行してもこんなモンという事実をみると、日本の映画も捨てたもんじゃない!って思えるかもしれません。

どんなに金をかけたって、誰がやったって、どこでやったって、失敗するときはするもんだ!だから、失敗を恐れず頑張ろう!

と、無理矢理に投げやりな希望的憶測を入れて、この文章を終わりにしたいと思います。
地震以降、初めて徹頭徹尾バカな事を書いたので、とても気分が晴れやかです。




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ラプンツェルは、森の奥の塔の上に暮らしていました。
育ての親マザー・ゴーテルからは、「あなたはか弱いから」と、外に出ることを禁じられ、塔の中でカメレオンを友達に、絵を描いたり、掃除をしたり。

楽しくも退屈な毎日のなか、窓から外を見ていると、毎年自分の誕生日に、遠くの方でたくさんの明かりが飛んでいくことに気付きます。

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あれはなんだろう?
一度観に行ってみたいと、マザー・ゴーテルにお願いしてもはぐらかされるばかり。

なぜなら、ラプンツェルの髪には不思議な力が宿っており、その力なしには、マザー・ゴーテルは醜いおばあさんになってしまうから。
そして、ラプンツェルは実はお城のお姫様。
遠くの明かりは、誘拐された彼女の無事を祈る王様と国民の祈りの儀式だったのです。

ひょんなことから塔に迷い込んできたイケメンの泥棒に出会ったラプンツェルは、外の世界で光の正体を見つけに行くことを決意します。

 とまあ、これが「塔の上のラプンツェル」のあらすじ。
 ディズニーアニメの王道というか、不幸な主人公の都合のいい生い立ちというか、そんなものに満ちあふれています。

 ただ、昔のディズニープリンセスと大きく違うのは、ラプンツェルが現状酷い目にあっているわけではないということです。

 毎日いじめられてるシンデレラとか、毒のリンゴ食わされて死にそうになってる白雪姫とかと違い、そこはかとない違和感を感じながらも、塔の上でそれなりに楽しく過ごしているラプンツェル。
 この辺の設定は、非常に現代的だなあと思うわけです。

 20世紀には「不幸」になるというは、いじめられるとか、死にそうになるとかの直接的な精神的、肉体的なダメージを伴うものでした。
 しかし、21世紀の先進国で3D映画を見に来るような層には、そのような不幸像は少し現実離れしてしまっているのかもしれません。

 そして、そんな我々が共感出来るのが、「閉塞したそれなりに幸せな場所にいるけど、これは本当の私なの?」という感覚。
 確かに、私を含めた多くの日本人が感じている、そこはかとない不安感と合致することが多い気がします。

 そして、そのそれなりの幸せとそれに伴う不安を作っているマザー・ゴーテルの狡猾さが、この映画のキモです。
 自分が若さを保ちたいというエゴは一切見せず、「外に出させないのは、ラプンツェルのためなんだよ」とあの手この手で言いくるめるのです。

 ラプンツェルが塔の中に住んでいるときから、外に出てマザー・ゴーテルに見つかるところまで、この態度は一貫して崩れることはなく、今起こっていることを逆手に取って、狡猾に説得していく様は、見事ですらあります。

 そして、この狡猾な女は、我々の周りにある様々なもののメタファーでもあります。

 たくさん勉強をして、良い大学、良い会社に入ると幸せになれるという教育
 結婚してマイホームを持って子供を育てると幸せになれるという広告
 税金を納めて、定期預金をしておけば、ちゃんと年金あげるよという政府公報

 塔の中に住んでるラプンツェルには、彼女を疑うことなど出来ませんでした。

 しかし、お城から(ラプンツェルがつけるはずだった)ティアラを盗んできた泥棒と出会い、自分でなにかを成し遂げ、外の世界を知ることにより、ラプンツェルは、「自分の感覚」を意識します。

 与えられた環境の与えられた役割をこなすだけの生活から、自分で考えて行き先を見つけて生きていく冒険。
 その中で、自分が感じた感覚に素直になることを学習するわけです。

 この冒険の中に、ラプンツェルが水で流されるシーンが出てきます。
 絶体絶命の中自らの機転と、周りの人の助けによって九死に一生を得るラプンツェル。
 それは、洪水で多くの国土と人口と経済力を流された日本のようです。

 そして、その修羅場の中で、マザー・ゴーテルの言葉にほつれが出てくるように、世間の常識や日本国政府のいうことにも次々とほころびが見えてきます。

 政府が安全だといったものは本当に安全なのか?
 日本国が発行している国債は、本当に価値を保ってくれるのか?
 この国に住んでいて幸せになれるのか?

 今まで、そこはかとなく感じていた疑問が、災難を伴う状況の変化によってあらわになっていく。
 でも、同時に、それを切り抜ける強さを身につけることによって、その問題の根源に打ち勝ち、新しい幸福を勝ち取っていく。

 現実がそんなに簡単なものでははいことはよく分かっていますし、映画としても「それは話がうまく行き過ぎだろう」と突っ込みを入れたくなってしまうところがあります。

 しかし、それでもなお、広い世界を見て、自分で道を探しだし、幸福を勝ち取っていくプリンセスの姿にはあこがれと賞賛を感じます。
 子供に、こういう成功体験を伝えることはとても大切だし、それ以上に、それなりに安定した塔の上にいる大人たちがこのような物語を見て、自分を見つめ直すことはとても大切な事だと思います。

 何度も言うようですが、現在そこはかとない幸せの中にいて、将来かなりの高確率で辛い未来が待っている我々日本人にとって、ラプンツェルの物語は、将来の向こうにある希望に繋がり、大切なお話だと思うわけです。



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