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今、日本で一番凄い会社だと言われているユニクロ。
 数年前まではトヨタ様でしたが、不況と円高でその地位を奪われています。(3年後には返り咲いていると思いますが)
 
 経済誌などにも、その素晴らしいっぷりは連呼されており、凄い会社なんだろうなあと思うのですが、実際にその会社で働いていた人と話をすると、実際のところは・・・ということがわかります。

 しかし、雑誌もテレビも新聞も、広告が収入の柱の一本であり、その大黒柱となっているトヨタ様やユニクロに火をつけるような記事は書けないわけです。

 じゃあ、知り合いがいないと何もわからないのかというとそうでもなく、世の中にはあえてそういう危険な場所に突っ込みたがる人がいるわけで、書籍や週刊誌に紛れていることがあるのです。

 トヨタ様に関しては、「自動車絶望工場」という傑作があります。
自動車絶望工場―ある季節工の手記 (講談社文庫)自動車絶望工場―ある季節工の手記 (講談社文庫)
(1983/09)
鎌田 慧

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 フリーライターがトヨタの期間従業員(今で言うところの派遣社員)として工場に入ったときの状況をそのまま書いた本なのですが、これを読んだ結果、

「自動車は、3万点の部品と、従業員の命の削り節で出来ている」
 と、確信し、非常に自動車に近づきたくなくなる、素敵な内容です。

 さて、ユニクロに関しても、元従業員の友人にいろいろ聞いていたのですが、あえてココでは書きません。
 どっかで、スパイスの効いたレポがないかなーと思ったら、電車の広告で発見し、生まれて初めて週刊文春を購入しました。

 記事の話題に行く前に、ユニクロって何?って話を。

 私は以前より、格差社会について
格差は広がっているんじゃない。
 世界全体を見れば、格差は縮まっている。
 貧しい中国やインドの人たちの収入が上がり、豊かな日本やアメリカの収入が下がっているのだ。
 貧しい人の方がコストが安い上に、一生懸命勉強し、一生懸命(長時間という意味ではなく)働くから、この流れは止まらない」

 と、いっていました。
 この流れを一番上手く使っているのがユニクロです。

 日本で何が売れたかのデータをネットで即中国に送信。
 中国で生産。日本に直送。販売。
 季節の変わり目には日本で開発した商品の設計図を中国に送信。中国で生産。

 日本人でしかできない店舗での販売や、システムの開発、商品開発以外は全部中国で行うことによってコストを下げ、あの低価格・高品質を保っているわけです。
 ついでにいうと、派遣社員とサービス残業という日本のクレイジー習慣も上手く使っていますね。。

 基本的に、革新的な方法で効率を高め、よりよい製品を安く提供するという、まさに経営の鏡のような体制。非のつけどころがありません。

 ただ、たまったもんじゃないのが、ユニクロ以外の洋服屋。
 ジーンズを690円とかで売られちゃったら、ジーンズメイトの業績なんでだだ下がりですよ・・・。

 服飾業界は壊滅状態。日本の不景気の一役を買っているデフレ創出企業です。

 この状況をどっかでみたことがあるなーと思ったら、途上国の古着市場です。
 アメリカ人をはじめとして、キリスト教徒の人はチャリティーで古着を送るのが大好きです。
 でも、教会とかで集められた古着は、紆余曲折を経て、途上国の地元の有力者にわたり、有力者は裏社会の人にこれを販売します。
 で、その裏社会の人たちは、古着市を開いて、地元の人たちにこれを販売します。

 儲かるのは、有力者と裏社会なわけですが、地元の人たちも格安で洋服が手に入れられるので一揆も起こりません。
 そして、ひどい目に遭うのは、その国にある洋服工場、そして布を織る工場、綿花畑。

 もちろん、ユニクロは正当な(しかも革新的な)商売をしているので、責められるべきではありません。しかし、与えている影響はあまり変わらない気がします。
 上記の話も、元を正せば、途上国の人たちを思いやる先進国の人のやさしさから始まってますからね。。

 こんな風に、どんなものにも良い側面と悪い側面が同居しています。
 そして、ユニクロほど頑張っている会社には、革新的な経営の裏になにか非常によろしくない労働環境など、いろいろ悪い側面がある可能性が高いわけで、ついにそれが週刊誌の話題になるかと思って文春を買ったわけです。

 ながーーーーーーーい前振りでしたが、週刊文春のこの記事、思いっきり期待はずれでした。

 柳井社長が、業績が悪いと幹部を絶対に許さないとか、柳井社長が自ら店舗をチェックし、駄目な店舗直接注意が飛ぶとか、なんというか普通のことが書いてあるわけです。
 店長の談話も「年収一千万円とか言われてたけど、実際は6-700万円。朝から晩までサービス残業バリバリ」程度の良くはないけど日本企業では当然のことが書いてあるだけです。

 私が友人に聞いただけでも、もっと面白いことたくさんあるんだけどなー。この会社。

 仕方がないので、ほかの記事も読んでみたのですが、ことごとく面白くない。。
 これじゃ、一時間ネットサーフィンした方が面白いことがいろいろ読めるよ。。
 そりゃ、雑誌、売れなくなるわけだ。。

 と、いうわけで、どうやらユニクロと週刊文春ではだいぶ役者が違うみたいで、相手にならないようです。
 
 これだけ、事業会社とマスコミの力が離れちゃうと・・・日本人の過剰労働の理由はこんなところにもあるのかもしれませんね。。

 ちっぽけな偽装など、小さくても明確な悪がある場合は、マスコミ全社で集中放火するのですが、一見何の問題もないような会社のほころびというか異常性を見つけ、広げることはできない。

 でも、そのほころびの奥にある異常性の中で、社員は傷つき、倒れ、年間三万人の自殺者が生まれてるわけです。。
 そして、チャリティーが洋服業界の連鎖倒産を呼ぶように、経済を傷つける一因ともなっている。

 なんとか、バランスを保つために、マスコミには頑張って欲しいと思いますよ。ホントに。
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タイタニックでおなじみジェームスキャメロンの超大作。
 驚愕のCGを3Dで。
 そんな人工着色料バリバリの宣伝文句でおなじみアバターです。

 ただ、ストーリーも、「ナヴィ」という宇宙人が住んでいる「パンドラ」という星を征服しようとしている人類と、「ナヴィ」側に寝返った人間の戦いという、なにやら深そうな話であり、観に行ってみることにしました。

 アバターというのは、パンドラに来ている地球人が作ったモノです。
 ナヴィのDNAと地球人の作ったDNAを混ぜて作った人造人間。
 これは、人間と神経接続をすることが可能で、酸素カプセルみたいなモノに入った人間がその中で眠ると、人間の感覚、意識などがアバターに移ります。

 内蔵か遠隔操作かの違いはありますが、エヴァンゲリオンと同じ操作方法です。

 そんな、アバターを使って、科学者からはナヴィの生態を調べることを、軍人からはナヴィへの侵攻策を探るように命令されている男が主人公。
 彼が、次第に、ナヴィの人々に惹かれていくわけです。

 物語の主題は、人間と自然。
 自然を愛するナヴィの人々を、鉱物資源を求めて虐殺する人類。
 その人類に反抗する主人公。

 主人公の姿形は違いますが、風の谷のナウシカやもののけ姫と同じ立ち位置です。

 まず、何がすごいって、その映像。

 3Dメガネをかけると画面が暗く見えるのですが、この映画の大部分は、そもそもくらい場所で展開されます。

 人間であるときは、薄暗い研究所。
 そこに、3Dの地図や、PCのディスプレイがぼんやりと光っており、画面にコントラストを与えています。

 アバターであるときは、薄暗いジャングルの中。
 そこに、ぼんやり光る植物や、派手な色の生物、幻想的に浮かぶ精霊のような生物などがコントラストを与えています。

 そして、ナヴィ驚異的な身体能力を持っている上に、木の上で暮らし、翼竜のような生物に乗って空を飛ぶため、高いところのシーンが頻発します。

 これを3Dで表現すると・・・すげえ!

 序盤は、「素で見るとどうなるんだろう。。」などと何度もメガネをつけたり外したりしたものですが、後半になると、この映像世界に完全に取り込まれます。

 そして、アバターやナヴィの人々の動きも凄い。
 スターウォーズで、初めて人間以外の生物がシーンの主役を張ったと思うのですが、そこから数十年の歳月を超えて、ついに人類以外の生物が人類を倒すという物語が誕生したわけです。

 そして、その生物は、人類を倒す役割を担うだけの動きも、感情も持っているのです。
 前回のカールじいさんの空飛ぶ家で、「CGを使って人の姿も声もなしに、人生を描いている」と書きましたが、

カールじいさんの空飛ぶ家 「人」なしで「人生」を描くという、新しい冒険

 このアバターでは、「CGと人を総動員して、人類に匹敵する生物を創り出している」といったところです。

 凄まじい技術力を使って、映画の新たな領域に踏み込んだともいえる本作品。

 がしかし、観終わった後、あまり残るモノもないのが現実です。

 なんといっても、人間にもナヴィにもアバターにも自然にも葛藤がないのです。
 
 人間は最初から最後まで自然をぶっ壊す破壊者であり、そこに疑問を持つ人々を主人公の回りの数名のみ。
 ナヴィは最初から最後まで自分たちの生活に誇りを持っており、人類に迎合しようという人物は一切出てこない。
 アバターは、人間を裏切って異星人として戦いを挑むのに全く葛藤がない。
 そして、惑星パンドラの自然は、あくまでナヴィの味方です。

 そこには、エヴァンゲリオンのような「なぜ人類を救うために自分が戦わなきゃいけないのか」と悩み続ける姿も、
 山を切り開き、もののけを殺していかないと、豊かな暮らしを続けることが出来ない人間の業があらわになる姿も、
 ナウシカが命がけで暴走する王蟲を止めるような、自然の暴走と無力で愚かな人類。それでも人類の未来に救いを求める姿もありません。

 ハリウッド映画らしい、善悪がハッキリした、勧善懲悪の物語。
 その中で、ナヴィ=善、人類=悪とレッテルが貼られてしまっただけのように感じます。

 せっかく、人間とナヴィの中間のアバターという新たな生物を生み出したのに、非常にもったいない。。

 この映画、上映が始まってから、エンドロールが終わるまで2時間50分くらいある超大作です。
 そして、エンドロールに出てくる人の数が、かつて観たことがないくらい凄まじい人数なのです。

 これだけの、技術と、労力と、時間をかけたのに・・・。

 とはいえ、映像の凄まじさだけでも、充分に価値のある大作です。
 カールじいさんを観た後にでも、ドウゾ。
 
 あ、「カールじいさんは3Dで観た方が面白い」けど、「アバターは2Dで観ると何一つ面白くない」と思います。

 ここで終わらせたのですが、予想外にYahoo映画とかの評価が高いのでもうちょっと続けます。
 
 この映画の最大の欠点は、人物描写が薄いんです。
 人間のボスの大佐は、ただ悪いだけの軍人だし、
 主人公と恋に落ちるナヴィの王女は、人間だとわかってるのに恋に落ちるとき何の迷いもないし、
 ナヴィ族は自分にまとわりつく虫も殺さないのに、攻めてきた人間はまよいなくバンバカ殺すし、
 登場人物が、ものすごく薄っぺら。

 ちゅか、ナヴィって、戦争になったら、やってること、人間、ってかアメリカ人と一緒じゃん。

 大佐がこんな風になった理由が、ナヴィがこんな風に変わった理由が、きちんと描写されてたら、面白い話になったはずなのに。。
 
 3時間近い時間をかけてるのに、こんなふうに人が全然描写出来ていないのは、やっぱり、映画の趣旨が3Dで映像を見せることだからなんでしょう。

 ってなわけで、3Dの凄い映画を観たい人にはお勧めです。映像がずーーーっと凄いので眠くはなりません。

 自然と人間の調和を考えたいなら、もののけ姫か風の谷のナウシカを。。 


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忘年会が始まるのが8時過ぎ。
 労働時間を減らすことに心血を注ぐもりぞおさんにはちょっと遅い時間。
 しかし、都合がいいことに、飲み屋のすぐそこに映画館があり、6時からカールじいさんがやっていました。

 ファインディングニモが大好きなもりぞおさん。
 この作品を作ったPIXARの最新作であるということ以外、カールじいさんについての前提知識はありませんでした・・・が開始十数分でぶっとびました。。。

 カールじいさんとエリーばあさんの出会いから別れまでがつづられる冒頭の十数分。

 このシーンの中で、子供時代を過ぎてから、台詞はほとんどありません。
 ふたりの数十年の生活が、映像と音楽だけで淡々とつづられていきます。

 「冒険」という名の夢を持っていたこと
 二人で仲良く暮らしていたこと
 子供が作れないことがわかって悲しむこと
 「冒険」のためにお金を貯めていたこと
 人生のいろいろなアクシデントでうまくいかなかったこと
 それでも、楽しく慎ましく、歳を重ねていったこと
 そして、エリーばあさんの死で、二人が離ればなれになってしまうこと

 そのそれぞれの、楽しさと、悲しさが、そしてそれが積み重なっていった素晴らしい人生が、たった十数分のアニメーションと音楽だけで、これ以上ないくらいにしっかりと伝わってくるのです。

 そう、アニメーションと音楽だけなのです。

 実写映画では演技をする人が人生を表現します。
 アニメ映画でも声優の声が表現の重要な役割をおいます。
 しかし、この映画では、人の姿も声もなしに、コンピュータグラフィックの映像と音楽だけで、これほどまで深く、二人の人生を描いているのです。

 素晴らしい。

 トイ・ストーリーでは「おもちゃ」。ファインディングニモでは「魚」。
 これらに人格を与えて、人の人生や成長を描いてきたピクサーが、
 ダイレクトに、「人」を使わずにCG製の「人間」に人格を与えて、人の人生を描くという冒険に出たのです。

 我々は、歴史的な冒険の目撃者かもしれません。

 そして、じいさんも冒険に出ます。
 あまりにもカラフルで美しく、CG的な、大量の風船をくっつけた「空飛ぶ家」で。

 向かう先は南米!
 エリーばあさんとの夢であった、パラダイスフォールの上に家をつくるために!

 実際の世界にあるのは、ギアナ高地のエンジェルフォールです。
 そして、このギアナ高地で繰り広げらっる奇想天外なアクション!
 CGで描かれるアクションは、ものすごく美しく、エキサイティング!
 話の展開なんて気にしない!
 でも、犬やじいさんの生態がうまいこと入った、所々に繰り広げられるネタは文句なく楽しいです。

 展開は大味なのですが、前述の十数分のあまりにも繊細なじいさんの描写が下敷きになっているので、じいさんのがんばりに、必死で感情移入してしまうのです。

 過去の静と、現在の動。

 静かだけれど楽しい生活が、ばあさんの死によって終わりを告げ、
 その生活の残り香を残すためだけに、止まってしまうかと思われたじいさんの人生。

 それが、カラフルな風船と、バカでデブなガキと、じいさんとばあさんがずっともっていた冒険心によって、この上なくエキサイティングなアドベンチャー、新たなる人生の始まりになったのです。

 別れは出会いの始まりであり、失敗は成功のスタートライン

 アメリカの失業率は10%を超え、日本でも多くの人たちが労働者としての自分の人生を否定されている状態です。

 カールじいさんも、定年で仕事はなく、最愛の妻も亡くし、最後の思い出と財産である家までも失いそうになります。

 でも、風船をつけて、若い頃の冒険心と妻との約束だけをたよりに、新しい人生を踏み出すのです。

 なんか、すごくうれしくなる話です。

 冒険の楽しさ、思い切ることの気持ちよさ。
 私が、世界一周紀行で描きたかった多くの感情が、この映画で表現されてるんです。

 いくつになっても、旅に出る理由がある。

 私は、今、猛烈にギアナ高地に行きたくなっています。
 その前に、3Dで映画を観るために、再び映画館に行くと思います。
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1Q84 村上春樹
1Q84 BOOK 11Q84 BOOK 1
(2009/05/29)
村上 春樹

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※この文章には、「システム」とか「壁」とか訳のわからないキーワードが散らばってます。
 村上春樹的「システム」の意味がわからない人は、まず、前回の文章をお読みください。

1Q84の前に 村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ
 
 あと、多少のネタバレは含みますが、核心には触れないようにしているので、読了前の人もご安心してお読みください。(完全に前提知識なしで読みたいってひとは、もうすでに読んでるだろうし・・・)


 1Q84。
 この物語は、1984年に生活をしていた女性が、いつの間にか違う時間の流れの世界に踏み込んでしまうお話です。
 その1984年に似て非なる世界を、「1Q84年」と名付けるところから来ています。

 しかし、「9」を「きゅう」と読むから「Q」と同じ発音なのは日本だけのはずなので、英語とか韓国語とか中国語に翻訳するときはどうするんでしょう?
 ま、たぶん注釈がはいるだけだから、どうでもいいですが。

 物語は、一章ごと交互に二人の主人公の視点で描かれます。
 
 青豆さんという女性と、天吾くんという男性。
 どっちもアラサーです。

 この二人を含めた多くの登場人物は、幼少の頃に「システム」によって心に傷を負っています。
 
 NHKの集金人である父親と一緒に集金に行かされるのが何よりもいやだった天吾。
 宗教の信者であった母親と一緒に布教にいかされるのが何よりもいやだった青豆。

 親戚中警察官ばかりでひどい虐待を受けてた女性。新興宗教のコミューン(自治区)のなかで宗教行事と虐待の中間のような状況に置かれていた女の子。

「システム」として強固に固まっている、「国家」と「宗教」によっていろいろなものを絡め取られた「卵」たち。
 これが、この「1Q84」に出てくる人物たちです。

 そのからめとられた様は、彼らの恋愛観に色濃く表れており、
 (射精のタイミング以外)なにひとつ干渉しない、年上の人妻」と週に一度の逢瀬を続ける天吾。
 時々、見ず知らずの、頭の毛が薄い中年の男を捜しに、六本木のバーに行き、一夜限りの関係を求める青豆
 と、かなり病んだ精神状態の二人が、病んでいるそぶりを見せず、むしろ非常に明確かつ論理的な思考を持っている人として、描かれているのです。

 日本国民としてNHKの受信料を支払うのが常識であるように、
 世界平和のために、共に神に祈りを捧げる人を一人でも増やすため、無償の活動をするのが常識であるように、
 妊娠中の女性が亡くなったとき、その亡骸は火葬することもなくガンジス川に流すのが常識であるように。
 仕事が時間内に終わらなかったら、残業代が出なくてもその仕事を終わらせなくてはならないのが常識であるように。

 世の中には、多種多様の「常識」という名の「システム」があります。
 その「システム」は、人々を幸せにしたり、苦しめたりしています。

 また、子供のころ「システム」によってゆがめられた彼らの感情は、二人の聡明さもあって、自分たちの中に世の中の大多数の人とはちがった「システム」を生み出しているのです。

 では、彼らが組み込まれていた「システム」を作った人たちはどうでしょう。
 物語の中で、新興宗教の教祖と、天吾の父親が出てきます。

 自信が教祖となっている宗教。その神秘性に自らが取り込まれ、身体が動かなくなっている教祖。
 すっかり惚けている父親。

「システム」を作っている側もいろいろなものを絡め取られているのです。

 村上春樹は、この「人間」と「システム」の関係についてこんな風に言っています。

私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。

 そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

 そして、「1Q84」は、「壁」に立ち向かっていく「卵」の話です。
 
 ハリウッド映画や日本のロールプレイングゲームのように、「壁」は「私が悪の大王だ」などとこれ見よがしに姿を現してくれるわけではありません。
 さらにやっかいなことに、自分自身もその「壁」の一部だったりするわけです。

 壁にぶつかり、割れてしまう卵。
 壁と自身の距離感を明確にし、しっかり生活をしている卵。

 そんな魅力的な登場人物のなか、主人公の二人は、幼少の頃に失った感覚が心の奥に残っていることにはっきり気付きます。
 そして、その幼少の頃の思い出を「1Q84年」現在に改めて現実化しようと動き出します。

 村上春樹がスペインの雑誌のインタビューの中で、こんなことを言っていました。
「ただひとついえるのは、不思議なことですが、危機が生じ始めると、私の作品が評価されはじめるということです。
 バブル崩壊後の日本。911後のアメリカ。共産主義崩壊後のロシア。統一後のドイツ。」

 スペインでも大規模な列車事故のあと、読者数がすごく増えたようです。

 まさに、「1Q84」に代表されるように、村上春樹は、こういう人々がうっすらと感じている不安感みたいなものを、ちょっと違った現実感の中で、我々が住んでいる世界よりももうちょっと見えやすくしてくれるのです。

 そして、登場人物たちは、その不安感に対して、迷いながら、対応をしていきます。
「俺があいつらをぶっ壊す!」と明確に行くのではなく、迷いながら、進んでいく様が非常に大きな共感を呼ぶのだと思います。

「1Q84」の二人の登場人物も、次第に自分の目指す場所を明確にしながら、進んでいきます。
 そして、Book2では、二人は異なる結果にたどり着きます。
 さあ、Book3では、どのようにあゆみを進めていくのでしょうか?

1Q84 BOOK 11Q84 BOOK 1
(2009/05/29)
村上 春樹

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1Q84 BOOK 21Q84 BOOK 2
(2009/05/29)
村上 春樹

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もりぞおさんは、世界旅行中はアクセス数とかあまり気にしなかったのですが、書評に移行してからちょこちょこ気にするようになりました。

 で、最近は、制作費50万円の映画雑誌kamiproロッテ愛甲の自伝、と、思いっきりマイナー路線を突っ走って見たのですが、スーパーメジャーマイケルジャクソン3部作と比べて、明らかにアクセス数が減っています。。。

 こういうところで、格闘議界が抱えるジレンマの超縮小版を感じてしまうわけですが、じゃあ、メジャーなのを書けばアクセス数が増えるのか?という疑問がわいてきます。

 そう考えて本棚を見ると・・・メジャーな本が全然ない・・・。

 私の中では、上杉隆とか冷泉彰彦とか山口絵理子とか、メジャーの箱に入ってるんだけど・・・絶対ずれがあるもんなあ。。と、思ったら、ありました。

 2009年のベストセラー。「1Q84」
 この本の方が、明らかに理解が難しいし、癖があるし、値段高いし、無駄に分厚いし。。。

 と、いうわけで、もりぞお世界書評メジャー化週刊ってことで、「1Q84」を取り上げてみようと思います。

 ああ・・・書いちゃった・・・。明らかに私の手に余るような重い本なのに・・・。村上春樹で文章を書くのはできるだけさけてきたのに・・・。

 と、いうわけで、まずは1Q84を読み解くのに必須の公演について書いた文書をお読みください。
 2009年2月。まさに1Q84執筆中にエルサレムで行われたエルサレム賞授賞式で行ったスピーチです。
 このスピーチの内容が1Q84のメインテーマだと私は考えています。

 で、この文章は、もりぞおさんが1Q84読む前に、エルサレム市内で書いた文章です。
 どぞ。


聖地エルサレム旧市街。
 ここは、高い壁に囲まれた町です。
壁


 高い壁の中には、いろんな宗教のいろんな人種の人が住み、いろんな国の観光客が訪れ、いろんな宗教、宗派の建造物が建ち並んでします。

 壁の上を歩くことも出来るのですが(有料)、町の地区ごとで、住人や建築様式が全然違うことがよくわかります。
町

 そして、この建造物や、土地そのものを争い、数々の国の数々の宗教の人たちが戦争を繰り返し、未だ、その戦争は続いている。そんなところです。

 我が国が誇る、偉大な小説家、村上春樹は、このエルサレムの名を冠する賞、「エルサレム賞」を受賞しました。

 折しも、イスラエルがパレスチナ自治区のガザ地区を空爆した直後。
 多くの人が、この空爆に反対しており、村上春樹もこの賞を受けるのかどうか、動向が注目されていました。

 結論から言うと、彼はこの賞を受けました。
 そして、エルサレムに赴きました。
 そこで、彼は、彼なりの言葉で、この空爆を辛辣に批判しました。

 そのスピーチの全文はここで読めます。
村上春樹: 常に卵の側に

 スピーチの内容は、この一つの文章に要約されています。
「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」

 この比喩の内容を、スピーチの中でこのように説明しています。

この暗喩の意味とは?ある場合には、まったく単純で明快すぎます。 爆撃機(bomber)と戦車とロケット弾と白リン弾は高い壁です。 卵とは、押しつぶされ焼かれ撃たれる非武装の市民です。これが暗喩の意味するところのひとつです。 しかしながら、常にそうではありません。より深い意味をもたらします。こう考えて下さい。私たちはそれぞれ、多かれ少なかれ、卵です。 私たちそれぞれが壊れやすい殻に包まれた唯一無二のかけがえのない存在(soul)です。 私にとってほんとうの事であり、あなたにとってもほんとうの事です。 そして私たちそれぞれが、多少の違いはあれど、高く固い壁に直面しています。壁には名前があります。 それはシステム(The System)です。

システムはもともと、私たちを護るべきものですが、ときにはそれ自身がいのちを帯びて、私たちを殺したり殺し合うようしむけます。冷たく、効率的に、システマティックに。

 村上春樹は、イスラエルという国を批判しているのではありません。
 もちろん、徴兵され、空爆を実行した若いイスラエル人兵士を批判しているのでもありません。
 彼の批判の対象は、空爆することを指示した「システム」です。

 このシステムは、法律であったり、宗教であったり、国民の「総意」であったり、「常識」であったりします。
 
 我々は、いろんなことを「あたりまえ」だと思っています。

 金曜の夜から土曜の夜までは安息日だから、バスを運行してはいけないことも、
 ラマダンの月は、日が出てから日が沈むまで食事をしてはいけないことも、
 会社に任せられた仕事を終わらせるためなら、深夜まで仕事をしなくてはならないことも、
 
 ユダヤ人は劣勢民族なので、地球上から浄化しなくてはいけないことも、
 イスラム教徒は「神」の存在を貶める邪教徒なので、排除しなくてはいけないことも。

 別の場所に住んでいる人から見ると、狂っているようにしか見えないもの。
 しかし、そこに住んでいる人から見ると、越えられない、越えてはいけないもの。
 それが、「壁」であり「システム」です。

 そして、「卵」である我々は、壁の前には無力です。
 多くの「卵」は壁にぶつかったら割れてしまいます。
 自分たちで作った「壁」なのに。

 そして、いつしか「卵」は、壁にぶつかることを恐れ、「壁」があることが邪魔だと思うことがなくなっていきます。
 たとえ間違っていることがうすうす分かっていても、あたかもそれがないモノのように、「壁」の前に来ると、無意識にくるりと方向転換をしてしまうのです。

 彼のスピーチは、「壁」そのものに対する批判であり、その「壁」を強固にするこの「無意識の無関心」に対する批判であると感じました。

 これはイスラエルだけの問題ではありません。
「過剰報道で視聴率経由で自分たちの給料を稼ぐ卵たち。盲信して過剰反応する卵たち」
「会社の意向を絶対視して過剰労働を強制する卵たち。それを無批判に受容する卵たち」
「国債を発行することにより無尽蔵に出てくる金を使って、自分たちの懐に入れる卵たち。それを批判することなく忘れ去る卵たち。」

 その他、「壁」を作る「卵」たちと、それを無自覚に受容する「卵」たちに対して、少なくとも自分は「壁」の存在に常に疑問符を持ち、場合によってはそれに立ち向かう「卵」であるぞ という宣言であったと思います。

 物理的に壁に囲まれているエルサレムの真ん中で、
 象徴的な意味の「壁」が強固として存在しているエルサレムで、
 「壁」がミサイルを発射し、「卵」を壊しまくっているエルサレムで、

 このようなスピーチをした村上春樹は、やはり偉大な「卵」であると、心から尊敬します。

 そして、壁に向かって祈る、イスラエルの正当派ユダヤ教徒。
祈り
 彼らはいったい、何を祈るのか・・・。

 村上春樹の小説の中では、この象徴的な意味の「壁」が数多く出てきます。
 中でも「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」では、この「壁」が色濃くでてきますので、このスピーチに興味を持った人は一度読んでみてください。

 で、次回、「書評 1Q84」に続きます。水曜更新予定。ホントに書けるか不安だ。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)
(1988/10)
村上 春樹

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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)
(1988/10)
村上 春樹

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 愛甲猛という選手をご存じでしょうか?
 その昔、ロッテにいた選手なのですが、当時のロッテは最下位街道まっしぐら。落合が三冠王をとること以外何のニュースもないような球団だったため、愛甲についても名前くらいしか知りませんでした。

 しかし、この男、とんでもない奴でした。

 プロ野球入団前。
 見事な不良であった彼は、野球の才能だけで横浜高校入学。
 一年生エースとして、夏の甲子園神奈川県大会の決勝まで行きます。
 しかし、決勝で敗れ、肘に怪我までした彼は自暴自棄になり、友達の家を泊まり歩き、シンナーやって警察に補導されます。

 県大会での活躍から、神奈川県警の一日所長をやることが決まっていたのですが、急遽中止に。危ないところでした。。

 この人の人生は、万事こんな感じです。

 2年生でも、決勝で敗れ、彼は心を入れ替えます。

「Y校に負けたことで悔しさを覚え、一層熱心に練習に打ち込んだ。
 1年間、タバコ以外は全て断った。

 高校生は、タバコ吸っちゃ駄目ですから!

 ちなみに、試合で打たれると、観客席から「これが足りないんじゃねえか?」と、シンナー入りのコーラの缶をカラカラさせる応援団がいたんだとか。。。

 そして、3年目見事甲子園出場。そして、決勝で荒木大輔と戦い、優勝!

「優勝パレードの後、人疲れしてしまい、遊びに出かけた。行った先はスナック。
(中略)
 スナックに来ていた社長のおごりで、堀之内のソープに行った。

 もう、朝日新聞が必死で作り上げている、甲子園の、明るくさわやかなイメージが根本から崩れます。

 さらに、ある女優との対談が設定され
「事務所の社長が「彼女どう?つきあってみない?」と言ってきた」
 と、いうわけで、さりげなく芸能界のドロドロしたとこまで暴露してます。

 また、このころモテモテだったのですが、特にレディースにモテたらしく、こんなエピソードも。

「おとなしいコは下駄箱にラブレターを入れるのが精一杯なのだが、不良は腕にカッターで俺の名を彫り「あたしと付き合いな」と正面から来る。

 不良の考えることは全然わかりません・・・。

 また、高校の野球部なんざクソ体育会系でいじめは常軌を逸しています。しかし、彼の場合、
「後輩をしごいても、いじめはしなかった。」そうです。

 寝ている間に後輩の顔に性器の絵を描いたり、後輩の性器に性器の絵を描いたり、偽のラブレターを後輩に出したり。。。かなりいじめに近いと思うんですけど。。。

 プロに入ってからも滅茶苦茶で、

一番ハマった賭博は、ポーカー賭博

「花札をやってたら、仲間の三人が注射を打ち、すっかり花札にならなくなった。
 翌日、球場で会ったとき、「明日もくるから!」と言って別れたがその後行方不明・・とおもったら、二年間刑務所に入っていた」

「ある日、観客の数を数えたら98人しかいなかった。」

「暴力団の構成員となった友達が金に困ってたので5万円貸してやったらお礼にせんべいらしき缶をくれた。その中の封筒には緑の葉っぱが入っていた。マリファナだった。
 返そうと思ったが携帯電話がない時代なので居場所がわからない。目にはいると試してみたくなるのが人情というものだ

「一度だけ(味方)投手に「ぶつけてくれ」と頼んだことがある。」

「ウマが合った歯医者がY氏である。彼がはまったのが野球賭博である。(このあと、野球賭博の正確なルールを記載)」

「(マクガイアがドーピングをしているのを知って)日本球界の「ドーピングパイオニア」を目指そうとしたのだ

 そんなもん目指さないでください・・・。

 さらに、フローレンスジョイナーの急死を見て、「死というリスクも考えた。しかし、俺には野球が第一義。太く短く生きるのも俺らしい。試してみなければわからないと言い聞かせた」

 と、ヤンキーらしい見事な決断力を見せます。ちなみに、この後成績は上がります。
 が、副作用によるアキレス腱の痛みで、打った後も走れなくなり、引退。

 引退後も、頭痛、不整脈が断続的に起こり、車の運転中に足の感覚がなくなるほど足がパンパンになり、胸が苦しくなり、心臓が痛むという事態に。

 ステロイド、恐るべし。

 その後、メジャーの試合にいったとき、新庄がこんなことを言ってたことを暴露。
こっちじゃ、ステロイドは流行ってなくて、グリーニー(興奮剤)ですよー

 だから、そういうことばらしちゃ駄目だから。。

 はい。本文切り取りとつっこみだけで終わってしまいました。
 この人、半端じゃありません。ヤンキー、コワ。
 ちなみに、ネタはこんなもんじゃないので、一読をおすすめします。
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 前回に続いてマイナー路線。kamiproこと紙のプロレスです。
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(2009/11/24)
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 プロレスとタイトルが付いている雑誌ですが、プロレスの記事はハッスルが潰れそう特集くらいで、格闘技の話題がほとんどです。

 最大の特集は、ストライクフォースというアメリカの格闘技を、青木真也という日本のトップファイターの一人が観に行くというもの。

 日本の格闘技には、有名なPRIDEというものがあったのですが、UFCというアメリカの団体に買収され消えてなくなってしまいました。
 PRIDEは当時、世界で最も有名かつ最高峰の選手がそろう、格闘技のメジャーリーグだったのですが、あっさりアメリカの団体の軍門にくだってしまったのです。
 なんで、こんなことが起こってしまったのか。
 これは、アメリカと日本のエンターテイメント産業の成り立ちに大きな原因があります。
 そして、たぶん、日本のいろいろな産業の弱点になっているものです。
 ちょっとその構造を考えてみましょう。

 上記の記事の中にある青木真也という選手は、日本国内でしか試合をしていない選手。
 関節技の技術は世界屈指と言われている選手で、日本で一番大きな団体、DREAMライト級チャンピオンです。

 この、青木選手の顔を知っている日本人がどれくらいいるかはわかりませんが、彼がアメリカの格闘技の会場に行ったとき、周りはものすごい騒ぎになったそうです。

「エイオキだ!エイオキだ!」
 
 もちろん、格闘技の会場だから知っている人が多いわけですが、まだアメリカで一度も試合してない人間がこれだけ知られているというのが、アメリカのマニアのすごさです。

 以前、NY在住のアメリカ人の友人に「アメリカでは今、どんなことが流行ってるの?」と、聞いたところ、「NYに流行なんてないよ。みんなが自分が好きなことのマニアなんだから」と、言う答えが返ってきました。

 アメリカの格闘技の収益の一番の稼ぎ頭は、ケーブルテレビによるペイパービューです。
 アメリカでは、格闘技の試合を当日生中継で見るのに4000円ほど金を払わねばならないのですが、最大手のUFCという団体の試合は、場合によっては数十万件の申し込みがあります。
 それだけで収入は二桁億円となるわけで、莫大な収益の一部は選手に還元され、それを目指して、多くのスポーツエリートが格闘家としてアメリカを目指す。
 そうやって、競技としてのレベルがどんどん上がっていきます。

 そして、数千円の金を払って試合を見るようなマニアたちですから、そのレベルの高さを充分に理解しています。
 競技としてのレベルの高い試合を見ることで、よりいっそう競技にのめり込んでいく。払う金も増える。
 見事な正のスパイラルになります。

 翻って、日本の格闘技はどうでしょう?
 一番の稼ぎ頭は、地上波テレビの放映権料です。ゴールデンタイムの放送なら数億円が動くと言われています。
 
 それ故に、試合の出場選手の選定や演出にはテレビ局が大きく口を出してきます。
 解説席に頭の悪そうな、何ひとつまともなことをしゃべらないアイドルが置いてあったり、格闘家としてのスキルは低いが人気はあるので毎回試合に出てくるような選手がいるのはそのためです。

 テレビ局は、視聴率がとれればそれでいいのです。

 それ故に、競技としてのレベルはだんだんと下がっていき、格闘家を目指す選手も減っています。
 魔裟斗のような、格闘家としてのスキルもテレビ的な人気もダントツの選手がいるうちはいいのですが、今後、彼のような選手が出てくるか、非常に不安なところです。

 さて、アメリカと日本の最大の違い。
 それは、ファンです。

 3億人以上の人口がおり、それぞれがそれぞれの嗜好を持っているアメリカ人。
 そして、自分が好きなものに対してはしっかり金を払うというマインドもあります。(レストランのチップ制度などとも関係あるかもしれません)

 1億人以上の人口がいるのですが、基本的に「流行っているもの」を追いかける人が多い日本人。受動的な趣味なので、あまり金も使ってくれません。
 格闘技の消費者の多くの動機、「テレビでやってたから見た」「なんかみんなが見てるから見た」というもの。
 
 競技レベルを上げれば収益が上がるというアメリカと、
 素人受けするようにしないと収益が上がらないという日本という構造になるわけです。
 さらに、日本の放送はほとんどが地上波のため、視聴者から直接料金を取る方法が確立されていません。
 アメリカは、広すぎて電波が届かない地域が多いという理由でケーブルテレビが広がったのですが、一つの地域に複数のケーブルテレビ会社が入って競争をしたため、テレビを通じて受けられるサービスが多岐にわたっています。
 その中で、テレビを通じて課金する制度が整ったわけです。
 まるで、日本で携帯のコンテンツから課金するシステムがしっかり確立しているように。

 日本のテレビは、放送法により新しいテレビ局の参入はほぼ不可能です。(参入させないために、テレビ局から政治家に多額の献金が行われ、テレビ局にはたくさんの役人が天下りしています)

 それゆえに、はっきり言って根拠が怪しい視聴率というものだけを争った、いつまでも進歩がない番組作り。
 テレビを通じたエンターテイメントのレベルは悲惨な状況です。

 私は、年に数回しかテレビを見ないのですが、そのときいつも思うのが、「いつまでたっても進歩がないなあ・・」ってことです。

 ただ、このところやっと、そんな旧態依然としたテレビ業界の危機が始まりました。
 テレビは変わっていくのか。
 テレビは、日本人視聴者の体質を変えるような、魅力的なコンテンツを発信してくれるのか。
 テレビは、視聴者から効率的に料金を引き出し、コンテンツの提供者にその金をスムーズに回すことが出来るようになるのか。

 コンテンツの発信がインターネット中心になり、国境がなくなる時代はすぐ近くまで来ています。むしろ、すでに始まっています。
 日本のエンターテイメント業界は、一刻も早く変わらないと、また一つ日本から産業がなくなり、また日本が貧乏になっていくわけです。

 アメリカの格闘技の試合が有料でインターネット中継されるようなれば、たぶん私はそれを見るでしょう。
 でも、年に数回日本で格闘技イベントを観に行くもりぞおさんとしては、日本国内でレベルの高い格闘技が続いて欲しいのです。。。

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数ヶ月前から気になっていた映画があります。
 今の世の中、映画を観る方法なんていくらでもあります。
 新宿には、世界で一番なんじゃないかってくらいたくさんシネコンがあるし、周辺にはちょっと古い映画をやる名画座もある。
 そして、TSUTAYAに行けば、山ほどDVDが。

 しかし、その映画は、日本で数館しか上映しておらず、今見るなら名古屋まで行かねばならない。そのあとは九州。。
 DVDも出ていない。

 その映画の名前は、「今、僕は」
 
 元々俳優だった竹馬靖具という人が、「自分が出たい映画を作った」ということで、制作費50万円。監督/脚本/編集/プロデュース/主演、俺。
 主な登場人物は3人。
 そんな、映画です。

 これが、第19回映画祭 TAMA CINEMA FORUMというところでやるというので、わざわざ、京王永山とかいうきいたことのない駅まで行って観てきました。

 そして、この映画、傑作でした。

 おそらく、この後見ることが出来る人が少ないと思うので、かなりネタバレ込みで書きます。

 引きこもりが主人公の映画。
 しかし、引きこもりの原因になった理由の説明などはない。
 また、彼の心の声が流れたりもしない。
 音楽すらない。

 布団にくるまり、ゲームをやり、母親を罵倒し、コンビニでポテチを買う。

 そんなどうしようもない生活が、家庭用かもしれないカメラの画像で、淡々とつづられていきます。

 みているほうは、どうしようもなく、辛い気持ちになります。

 母親は、どうしようもなく不器用な形で息子に近づきます。
「少しは働きなさい」「なにやってんの」
 こんな接し方しかできない母親にイライラし、それに対する主人公のリアクションにもイライラします。

 そこに、母親に頼まれた、おせっかいな男がやってきます。
 主人公を無理矢理ワイナリーに連れて行って働かせる男。日曜日に草野球に連れて行く男。どうしようもなくやさしいのですが、主人公がそんなこと喜ぶわけはないだろ!と、いうことで、やはりイライラします。もちろん、それを断れない主人公にもイライラします。

 とにかく、開始数十分、イライラしつづけるのです。

 まるで、今日本を取り巻いている空気のようなイライラ感。

 しかし、男のお節介が主人公を追い込み、変化を生み出します。
 主人公はワイナリーから逃げだし、再び家に戻ります。
 そして、ベッドで丸くなります。

 そのことを知った母親は、主人公をなじります。
 逆ギレした主人公は、母親をボコにします。

 主人公は、世間との、たった2本のつながりである、男と母親を裏切ってしまいました。
 ただ、自分の意志を主張できたという点では前進かもしれません。
 しかし、本当の試練はここから始まります。

 病気になった母親は、「ごめんね。ごめんね。。」と謝り、亡くなります。
「また、一緒に働こう」と言った男は、突如、交通事故に遭います。

 2本のつながりは完全に切れてしまいました。

 映画前半のイライラ感は、絶望感に変わります。
 とにかく、辛い気持ちが会場を覆います。

 もちろん、監督の意図によって作られた絶望感なのですが、最小限の台詞と映像によって作られた絶望感は、説明に説明を重ねて合理的に作られた絶望感とは比べものにならないほど、深く、重く、不快です。


 今、世界全体として、いろいろな難易度が上がっている気がします。
 例えば、仕事。
 成果主義という制度は、成果を出した人には優しいが、成果を出してない人はかまってもらえません。存在を無視されます。
 そして、世の中には、成果を出せる人の方が少ないのです。
 自分が、成果を出せない方の人だと悟ってしまった人は、絶望し、無気力になります。

 しかし、ゲームの世界では、主人公は、危険な場所に勇気を持って踏み込んでいき、困った人を無償で助け、命がけで世界を救います。
 世界中の人は、主人公を称えます。
 自分が、選ばれしものとなって、世界に希望を与えるのです。

 このギャップの大きさは、恐怖です。
 そして、その恐怖に打ちのめされた人の姿がこの映画に映っています。
 その姿は、もしかしたら、ちょっと道を踏み間違えた自分かもしれない。


 さて、2本のつながりが切れてしまった主人公は、死を決意します。
 コードを結んで、首つり。

 が、お節介な男は、交通事故にもめげず、主人公を助けます。
 またも反射的に逃げる主人公。追う男。山の上で追いつかれ、もみ合い、泣き崩れる。

「帰ろう・・・。」

 帰る場所なんてないような気もする。
 でも、帰るしかないんだ。

 閉塞感と、息苦しさと、辛さ。
 それを、リアルに、強烈に見せてくれた「今、僕は」

 観る機会があったら、是非観ることをおすすめします。

今、僕は HP
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